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N.ジャンツァンノロブ著『モンゴル音楽における音感の原理』

N.ジャンツァンノロブ『モンゴル音楽における音感の原理』、モンゴル国立文化芸術大学、ウランバートル、2009年(Н.Жанцанноров, Монгол хөгжмийн эгшиг-сэтгэлгээний онолын утга тайлал, Улаанбаатар, 2009. )
著者 N.ジャンツァンノロブ
 1948年ウブルハンガイ県生まれ。1971年ウランバートル市の国立師範学校の音楽教師科を卒業後、ウクライナのチャイコフスキー記念キエフ国立音楽院(現キエフ音楽アカデミー)で作曲、音楽学を学び1979年に卒業。芸術学博士号を持ち、現在モンゴル国立文化芸術大学名誉教授。
 著書に『モンゴル音楽の12の肖像』(1996)、『音楽用語小事典』(1996)、『目覚める知性を呼び起こせ』(1998)、『大歌手の話(J.バドラーによるインタビュー原稿の編集書籍化)』(2005)、『オルティン・ドーの伝統的な用語より』(2005)、『モンゴル音楽における五音音階理論の諸問題』(2006)、『音楽・時代』(2006)がある。

目次

序文
第一部 モンゴル伝統音楽における五音音階の理論的理解
1.1.旋法という概念の基礎
1.2.伝統音楽の五音音階の理論的依拠
1.3.五音音階と単旋律の関連性
第二部 モンゴルの現代音楽に見られる感性の型
2.1.「プロフェッショナルの音楽」という概念の略史
2.2.ナショナルな「プロフェッショナルの音楽」における五音音階の作法
2.3.モンゴルの現代音楽の諸楽派
結語
本著作のモンゴル語による音楽用語注
著者注
訳者注
参考文献

序文
 人間の知識、信仰、倫理、美学のイメージに没入し、全人格によって作り出されるが芸術作品の特質の一つだ。これはもちろん音楽作品の基本的特質でもある。音楽は音によって表現される、旋律、リズム、和声、もしくはそれに噪音を含んだ複合体であり、それにより、人間の本質および歴史、伝統、政体、社会、自然と人間のつながりの、幅広く価値ある領域の包含を示すものである。人間の進歩、社会の発展、自然界の摂理などといったものの基本原理への一致、不一致があることは、「結局、社会の発展の源泉は人間の本質たる文化である 」ことに結び付いてくる。音楽という芸術は文化の中でも物質的なものではなく、精神の大部分に作用する特殊な分野である。この点で、その精神活動の本質、あるいは民族の独自性に関する研究が、現代の学問的水準によって方向づけられることは、社会および人間精神、そして表演芸術の発達の基礎的な問題に答える際に可能な限り助けとなるべきである。
 モンゴルの芸能文化について、モンゴル人が何百年もの間持ち続けてきた世界観を「可視化」するように作り上げ、伝承されてきた伝統文化の価値ある遺産となったものを、数々の研究者がそれぞれの切り口から研究を重ねている。音楽芸術、作品について、モンゴル民族の伝統音楽、例えば馬頭琴、三弦などの楽器、叙事詩、オルティン・ドー、ホーミー、前世紀初頭から中葉に発生した新しい時代の音楽史、理論上の諸問題の研究は研究者の能力、著作によって成熟の様相を呈している。
 前世紀後半から始まったモンゴル国の“プロフェッショナルの音楽 ”というモンゴル人が取り入れ概念化した(換言すれば、西洋芸術音楽の主流をモンゴル音楽の土壌に“根付かせた”)音楽の包括的な研究が割合存在するのではあるが、そのことと同時に、一方で西洋音楽の理論的尺度から研究を試み、他方ではこの“他者の”音楽の類を作るに際し伝統的な音楽がいかに影響し、民族の特色を見出されるという側面に対し行われた観察に限られているのである。とはいえ、今日の音楽芸術は西洋古典の伝統的形式を、多少誇張して言えば、“写し取り”始めたことにより、西洋音楽にもなりきらず、自らの音楽の伝統にその“他人”の作ったものを適合させたことによって民族の伝統芸術とも原理的に異なる独立した分野を築くまでに成長した。
 我々モンゴル人は20世紀中頃からクラシック音楽の精髄を学び取り、オペラ、バレエ、交響曲等の西洋の様式、形式を取り入れたプロフェッショナルの(西洋の書法の伝統をもった)多量の作品レパートリーを作り上げた、音楽の東西の行動様式を重ね合わせた芸術を作るようになった民族のうちの一つである。
 モンゴルの現代プロフェッショナル音楽が、政治、社会の発展の枠内においても、また演奏し、作品を作るという枠内においても、音楽芸能の中の他の付属するジャンル(アマチュア活動のような大衆音楽の様々な動向)の枠内においても、また専門教育および公教育の枠内においても、その主導権を握る責務を果たしていることに注目してみれば、こんにちの音楽作品の研究を西洋、東洋という2つの観点から分けて行うのではなく、両者を関係付けるところまで広がってきていて、これは明らかに今日的な問題である。
 我々の時代のプロフェッショナルな音楽は何世紀もの間、伝えられ改良されて、古典様式によって成っている西洋のそのような音楽の種類をモンゴルの作曲家が全く新しく自分のものにしモンゴル精神に「順応させた」ことを東洋の観念、音楽の伝統に基づき研究し、実質成果を出してきたのもまた仕方の無いことである。そういったことでモンゴルの音楽に新しく生まれたオペラ、バレエ、交響楽といった種のものは、西洋の土壌・土台の上に一体どんな歴史的状況、美学的要求、観念的裏づけ、芸術の実践に支えられて完成されたのか?ということ、この芸術に沿って音楽理論のどんな感性、システムが構築されたのか?ということを念頭に置き、他方それらの作品の創造者(モンゴルの作曲家)の創作するこの三重奏、哲学、美学的伝統、民族の音楽的感性と結び付けて見て、音楽理論の観点から検討する必要が高まっているのである。
 モンゴルの伝統的な遊牧生活、そこに適した精神と感性の実践、モンゴルの地の四季折々極端に変化する厳しい気候、地理上の様々な特色をもつ構成要素などが音楽性の成果の上に生じた音楽の様々なジャンルが生まれ、発展する土壌なのだ。
 モンゴルのオルティン・ドー、ホーミー、馬頭琴などの伝統芸能、現代音楽の作曲家の作品は自国のみならず海外の一般の評価を得て、研究者や専門家の注目を浴びるようになった。これは才能ある歌手、演奏家、作曲科の功績であるのと同時に、モンゴル音楽構成要素あるいはそれを支えるものとなっている五音音階の音感、およびこれと相関関係にあるモノフォニー・単旋律の特徴的な形態が明らかな要素となっている。しかし音楽理論の裏づけに「音の意味」という概念を「その楽音の使われる状態」と説明しているのは、基本的に音感のシステムをどう理解するかの基準を説明することについて述べている理由だ。上記の基準の説明は五音音階の旋法と単旋律の間の相関関係の規則について特に取り出しての研究を追及することも可能である。
 モンゴルの伝統音楽にみられる五音音階、単旋律について理論研究は、過去には体系的に研究が蓄積されてこなかったし、伝統音楽のジャンル、音楽構造、旋律の類型、民族的特徴など、多くのアプローチを行ってきた研究者たちの調査、考察は理論と実践の両面で貢献している。
 例えば、B.スミルノフ、S.コンドラーチェフ、D.オヨンツェツェグ、L.エルデネチメグ、D.ダシドルジ、S.ツォードル、J.エネビシ、J.バドラー、L.オヨンチメグ、B.エンヘトゥブシンら研究者たちが各々のテーマの範囲内でモンゴルの伝統的五音音階の問題を追究してきた。またB.スミルノフ、D.バトスレンおよびJ.エネビシらのいくつかの著作、S.ソロンゾンボルドの研究では、モンゴルのプロフェッショナル音楽の発展の初期の作品を伝統的な五音音階と結び付けて省察している。
 現代モンゴルのプロフェッショナル音楽の研究はその期間においてそれほど大きく遅れてはいない。モンゴル国において西洋音楽の作曲法を始めて実践した作曲家であり音楽学者でもあったB.F.スミルノフが、旧ソ連で音楽教育を受けた当時のモンゴル人の若い作曲家たちの初期の作品をチェックし、西洋の音楽的伝統をいかに自らのものとしているか、また彼ら自らの音楽的伝統が以下に作品に影響しているかを研究した著作に始まり、音楽学者のD.バトスレン、J.エネビシの共同執筆による20世紀のモンゴルの新しい音楽についての概略、および1989年にモンゴル作曲家同盟が音頭をとり2冊の音楽論集が出版され、またJ.エネビシは1940年代までの新しい音楽の歴史の概観によって学位を取得しそれを出版し、1970年代よりソ連で音楽学専攻の学生を留学させた結果に関して、D.オヨンツェツェグは現代モンゴル音楽の独自の、また他と共通の問題、R.エンヘバザルはモンゴル・オペラの発展について、A.ツェデンイシはS.ゴンチグソムラーの交響曲の音楽様式について、G.ニャムスレンは弦楽四重奏のための諸作品の民族的な形式について、B.バトジャルガルはJ.チョローンのバレエ《職人のハス》について、などといった10人以上の学生がモンゴルの現代音楽の各々重要なテーマについて学位論文を書いたことは(残念なことにこれらの学位論文は全てロシア語で書かれており、いまだにモンゴル語に訳されていない)モンゴルのプロフェッショナル音楽研究に貢献した。
 モンゴルの五音旋法とモンゴルの現代音楽について、筆者自身、三十数年研究を続けていて、現代音楽の作品の素材としての伝統的な音楽の感性、体系、秩序について、および音楽学における民族の科学の感性の進歩に貢献する観点から『音楽用語小辞典』、『オルティン・ドーに関わる伝統的用語研究』を編纂・出版したり、現代音楽の代表的な生涯、作品の素描の上にモンゴル現代音楽の感性の特質、類型を明らかにすることを試みた小冊子を編んだり、モンゴルの伝統芸術の歴史、文化、演奏法や歌唱法についてものしたJ.バドラー、Ts.ダシドラム、N.ノロブバンザドらの著作にアカデミックな序文を書いたり、J.バドラーの『モンゴル民俗音楽』を、彼の家で手稿を見つけ出し編纂、出版したり、彼が高名な歌手のJ.ドルジダグワにモンゴル歌謡の伝統、歌唱法について行った900分に及ぶインタビュー録音を原稿に起こし、本にして出版したり、といったことを行っている。
 筆者は1983年よりモンゴル国の音楽政策の策定、日常業務などの職務を遂行する組織であるモンゴル作曲家同盟の委員長に選出されたが、同同盟の大会(1984年の第4回大会、1989年の第5回大会)の席上で行った口頭発表を現代音楽の日常、作品、音楽家について書いた小論として編集し出版した。
 筆者の研究および観察のレベルの上記の著作は、現代モンゴルのプロフェッショナル音楽が“両翼のある”独立した音楽作品を生み出した民族楽派となっていることを研究するその基盤となった。とはいえこれは西洋音楽理論研究に共通のスタイルの枠組みからそんなに飛躍できていないことによってのみならず、いくつかの点では楽音、スケール、旋法、和声のモデルを道標としながらかなりの点でモンゴルの現代音楽へとむかっていたことは隠しても仕方がない。
 現代モンゴルのプロフェッショナル音楽の楽派の特徴およびその音感の源泉となったモンゴルの伝統音楽の五音音階の本質、単旋律の性質を明らかにするとき、音、旋法、音楽様式についての西洋理論の裏づけ、成果、モンゴル伝統音楽研究の海外および自国の研究者たちのモンゴル民族の伝統的音楽芸術のジャンル、芸能性についておこなった仕事、音についての自然、社会科学的な原理を構成する論文や著書はこの種の研究の土台となっている。
 五音音階、モノフォニーの音楽は朝鮮、中国、日本といったアジアの、およびほかの大陸の多くの諸民族の音楽に共通してみられるものの1つではあるが、モンゴル音楽についていえば、その民族的特徴、独特な言語、民族的様式を成り立たせる基礎構成原理といえるものが存在する。だからモンゴルの伝統音楽の多くのジャンル、中でも古典様式歌謡であるオルティン・ドーの旋律の世に二つとないその優美さ、器楽においては、モンゴル人の英知を注ぎ込んだ馬頭琴の音の計り知れぬ広がり、現代プロフェショナル音楽の作品の際立った新奇さなどを心に刻み、解説する際、なによりもその「生命力」たる五音音階の本質にかんする研究の問題が非常に重要である。
 ペンタトニックを音階組織、イントネーション、音の相互の関係、因果関係、時間・空間の感覚など音楽の基本原理について精査し明らかにする、このことは、モンゴル音楽のどの時代のどんなジャンルに属する音楽をもすべてに対して包括的な研究を行い、解説を加えるのに貢献するものとなるべきだ。
 モンゴル国の芸術学において、中でも音楽学において西洋を東洋と相対するものとみなすこと、自民族優越主義に陥ること(プロパガンダや広告媒体においてこのようなことが起こりうることは否定しないが、学問研究においてはこれによって得るところは少ない)、さもなくば東洋と西洋の発達の実りとなった作品を一面からのみみて、ひとつの体系に押し込めてしまおうとする動きがいくつかの面で注目されている事態を何とかして減らし、対立させるのではなく結合させる、もっといえば互いに連関させて捉えることこそアクチュアルな作業となっている。そもそもモンゴル音楽におけるペンタトニック・システムと西洋のディアトニック・システムはそれぞれ独立して存在するシステムであることについて、音楽の基礎理論の面から比較し、それらのシステムがモンゴル国のプロフェッショナル音楽の作曲家の作品にどのように反映されているかを周知のかつ共通する技法に合わせて整理する必要が出てきている。
 実際西洋人が東洋人に対し悪い印象をもったり誤った理解をしたりする法はない。わが民族が他の民族より優位であると裏付けられなければならないということもまたありえない。ここ何年間にもわたって西洋中心主義が支配的であったその強い影響から脱しようという試みが盛んに行われていることは、逆に東洋を西洋より上に位置づける新しいタイプの「中心主義」の方へ揺り動かしてしまうという欠点もある。西洋においても西洋中心主義が支配的であったことを認め、東洋の知識体系の研究に今もって努めている点に注目すべきである。
 音楽理論にあらわれる感覚については、西洋において東洋に劣らない大きな蓄積ができていて、ここ300年近くの間に世界中の音楽の理論と実践を占める土台となっていたことに、また、この音楽が現在でも世界中で確固たる地位を築いていることによっている。そのため西洋音楽理論の範疇の中で、モンゴル音楽の体系を学ぶ教科書の内容の基準が定められてはいけないことに注意し西洋音楽理論の主要諸問題(もちろん研究に包含されている旋法、音楽様式の枠組みから外れることはない)について研究していることは無駄ではない。
 モンゴル音楽学において理論関係の専門用語は全く統一されておらず、民間に伝承されてきた語(shudrakh(シュッとこする)、duniaruulakh(まどろむ)、toirokh(巡る)など)、仏教哲学から伝播した(ヤンイグ(チベット仏教音楽の記譜法)、声明、tatakh ayalguu(引く旋律)、urwuulakh ayalguu(引き返す旋律)など)用語、西洋音楽の(ラド・トナリノスチ、モドゥス、・・・・、ニュアンスなど)用語は専門的な研究の中でごちゃまぜに使われている。一方、音楽の専門教育においては外来語が我が物顔をしているが、これには歴史的な事情がある。
 音楽用語とは特定の明確な意味を持って定義づけされ使われるべきである。基本的にその定義された意味は重複した意味をもたず導き出される理解の本質を含んでいるところにある。筆者のこのような考えは音感の理論付けを目指した本書にも反映されていることを強調したい。
 モンゴルの伝統的な五音音階の旋法の規則を西洋の平均律を研究する方法から逃れ、自らの内的蓄積によって顧み、全く新しい用語法、理論の新しい結論に達するのに研究活動が方向付けられてきたことも記しておきたい。
 西洋音楽学の著作の中で、モノフォニーを理論的に扱いながら西洋中心主義的な見解が支配的だった時期、この音楽様式が西洋クラシック音楽において中世には大きな役割を担っていたように、さもなくばプロフェッショナルな音楽が発達していない諸民族の民俗音楽が発達の「かなり低い」段階にあるみられていたようであったのが、近年よりモノフォニーが音楽思想の独立した現象、規則となるのを受け入れる方向になってきている。しかし西洋の理論の考え方にしっかりと根付いている和声、ポリフォニーの理論と多くの面で対等な規則となるためには、理論の水準の点でまだまだ洗練されていない。
 実際、本書の理論的基礎、その記述、裏づけ、結論のひとつのポイントとなるのは、その理論がいかに未発達かを示すことではなく、自然環境、人間、空間、時間などと多くの紐帯で結びついている音楽の思想が独立した領域であることを明らかにしようとしているところである。
 科学とは自然・社会・人間という環の中に存在する形而上のおよび形而下の物事を知ろうとする試みをまとめたものである。これらの試みを受け取って咀嚼し、裏付けを取り、またそれに反論するのだ。根拠ある反論はそれだけで科学的である。本研究がそのような反論のたたき台となることを筆者は望んでいる
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Yapony Bagsh

Author:Yapony Bagsh
Welcome to the world of Mongolian music! I've studied Mongolian language and musical culture in Ulaanbaatar(the capital of Mongolia) for one year. I hope you enjoy various music of Mongolic peoples.

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