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情熱的なモンゴル民話

ある民族楽器に伝わる哀しい民話
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2028508&media_id=112

『スーホの白い馬』についてモンゴル好き人間は色々言いたいことがあります。

例えば、主人公の「スーホ」はモンゴル語のスフ(「斧」の意)を漢字音写したのをカタカナに直したんだYO!とか。

あれは現在の中国の内モンゴルのチャハル・モンゴル人地域(シリンゴル盟)に伝わる話なんだYO!(モンゴル国の話ではないYO!)とか。

モンゴル国(ハルハ・モンゴル人が多数派)では馬頭琴起源説話として『フフー・(郭公の)ナムジル』のお話が有名だYO!とか。

まあ、モンゴル人たちの間に伝わる弦楽器の起源説話はばくしの知るだけでも12種ほどあって、モンゴル人の内部の多様ぶり、居住地の広範ぶりを示しています。

さて、ここであえてこの本は大塚勇三氏の良質な創作だと言いたい。

もちろん漢語経由の採話であるという事実もあるし、再話文学である以上日本語で読まれるこの物語のあちこちに大塚氏の遊牧民に対するオリエンタリズムも反映されているであろう。

そのような批判は簡単である。しかしまずは民話がもともとどのように語られてきたか考えてみれば、また違った見方ができる。

モンゴルの民話は楽器の伴奏がついたり節回し付きで語られることも多い。ということは当然のことながら昔話というのは口伝えで伝えられたのであり、そのテクストは常に流動的であった。

コミュニケーション論と関連付けて研究されたりもするが、「お話」は語る相手、その場の雰囲気などによって、その場その場で話し手によって、あるいはその場にいる人たちによって「創作」される。そうしてその場の人間を惹きつけられるのが、よき語り手なのである。

だとすれば、語りと文字との非常に大きな違いはあるが、現代日本でこれだけ親しまれる物語になるよう「語った」大塚氏はこの意味で優れた語り手であるといえよう。

もちろん本質的に物語の大まかな筋が、この愛馬に対する主人公の思いが民族を超えて共感を呼ぶのだ、という意見もあろう。

しかし日本語にほぼそのまま翻訳されたモンゴル民話を読んだことのある人、もしくはモンゴル民話を翻訳したことのある人ならわかるだろうが、モンゴル民話は日本人にとってそんなに面白いものではない、コンテクスト依存の物語が大半だ。

むしろ民話や物語、歌などを考える場合、その場に合わせた魅力ある「語り」の創意こそが本質なのではないかとばくしは考えています。

そういえば最近福島弘和という吹奏楽専門の作曲家が《スーホと白い馬》という曲を書いた。内容はまあ吹奏楽専門作曲家にありがちなアレな感じですが、ことほどさように日本でのこの物語の需要のすそ野は広がっているということで、いろいろ興味を持ってくれる人が増えるのはモンゴル好きとしてうれしい限りです。
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Yapony Bagsh

Author:Yapony Bagsh
Welcome to the world of Mongolian music! I've studied Mongolian language and musical culture in Ulaanbaatar(the capital of Mongolia) for one year. I hope you enjoy various music of Mongolic peoples.

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