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トゥヴァ共和国の民族楽器オーケストラ

 現在のロシア連邦トゥバ共和国は清朝時代はタンヌオリアンハイと言って、トルコ系での人がほとんどではありますが文化的にモンゴル系の人々と遊牧生活、服装、チベット仏教、モンゴル文字など多くの点で共通していました。
 音楽においてもかなり近かったのですが、ソ連邦内に強制参加させられた後の1944年にはすでに現在のモンゴル国の民族歌舞団の民族楽器オーケストラのようなチベット仏教の大ラッパやチャルメラ、民間の弦楽器やそれをコントラバス様に改良した楽器、そしてトゥバの箏チャトハンを用いて新しく作った民族オーケストラがすでにあったようです。
 ブリヤートでは同種のオーケストラは1940年に初めて演奏を行ったのでその直後ぐらい。モンゴル国で試みられたのは1956年から1962年なのでそれよりも十数年早いことになります。
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踊るモンゴル歌謡

 『踊る昭和歌謡』という本に、大衆音楽と芸術音楽を区分する意識の中には「踊る/じっと鑑賞する」ところにあると説明可能な部分があると書いてあった。また、踊りというものが性的な情動を連想させることがある程度普遍的に見られるとも。
 モンゴル国の大衆音楽を考えるとき、ボールルームダンスは社会主義時代に広く普及していて、田舎でも公民館でそういう機会がもたれることは多かった。首都には大きな職場、例えばホテルや工場などにアマチュア楽団が結成され、ダンス音楽が主要なレパートリーだった。またS.ゴンチグソムラー作曲の《ウランバートルの夕べ》のようなワルツ調の歌謡曲も多く生まれたし、老舗国立ジャズバンド「バヤン・モンゴル」も民謡をダンス音楽にアレンジして親しまれた。
 踊るリズムをメインに据えることで、モンゴル国大衆歌謡の時代による流行の傾向も見通しがよくなるだろう。ただ、公の娯楽としてのボールルームダンスは近代都市文化として行政からも大衆からも歓迎され(当時の高齢者世代や保守的な価値観の人々の中によく思わない人がいたかどうかは調査の必要があるが)ていたことを考えると、不健全娯楽とされて批判されたり廃れたもの(芸能関係も全て国家予算なので、あらかじめ完全にふるいにかけられていたとも考えられるが)もあったのかは気になる。
 それから「踊る」大衆音楽以外にモンゴルでは、「みんなで歌う」という参加の仕方がある。宴会だけでなく旅行中のミクロ(ワゴン車の定員を違法に増やした小型乗り合いバス)の中で、みんな音程もリズムもバッラバラで大声で歌いまくるとか。これは宴会でのオルティンドーの唱和の風習に根っこがあると考えられるが、社会主義時代の教育の中でも官製のピオネール(社会主義国の官製ボーイスカウト、党員の子息が多かったかも)歌、学生歌などを唱和する習慣がついていたからというのもあるだろう。何にせよ歌を唱和することが、上からも下からもアイデンティティ共有のツールには変わりないわけで。
 この話に分け入ってしまうと、もう上であげてしまっているが、国歌や団体歌はどういう扱いなのか、娯楽?みたいなことになってしまう。ジャンルの区分け自体にこだわりたいわけでもないのでこの問題は別に考えたい。

踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書 454)踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書 454)
(2015/02/06)
輪島 裕介

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Yapony Bagsh

Author:Yapony Bagsh
Welcome to the world of Mongolian music! I've studied Mongolian language and musical culture in Ulaanbaatar(the capital of Mongolia) for one year. I hope you enjoy various music of Mongolic peoples.

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