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モンゴル国の大規模声楽作品について

 モンゴル科学アカデミー歴史研究所編著/二木博史ほか訳『モンゴル史(全2巻)』(恒文社、1988年)の第2巻p.246に以下のような記述がある。「モンゴルの作曲家による交響楽の作品には(中略)そしてD.ロブサンシャラブの《スフバートル讃歌》《わが祖国よ永遠なれ》という讃歌(マグトー)などの大形式の音楽作品があることを記さねばならない」。この中の「マグトー」という言葉を訳者は「讃歌」と訳している。これはモンゴル語の「マグタハ=ほめる・称える」やモンゴルの伝統的な口承文芸の一形式「マグタール=讃歌・讃詞」を念頭に置いた訳であろう。しかし「マグトー」は実は「カンタータ」の訳語として設定されたモンゴル語である。訳者たちの名誉のために言っておくと、この本はモンゴル語から直接日本語に訳されており、その訳は素晴らしく、多くの術語が定訳として参照されるべきものである。ただ、訳者の中には音楽の専門家はおらず、J.バドラーによる『音楽用語』(Ж.Бадраа, Хөгжмийн нэр томьёо, Улаанбаатар, 1956.)は日本には出版当時蔵書がなかったため、この音楽用語を知る者は日本にいなかっただろうし、モンゴル人も一部の専門家しか知らないだろう。
 とまれ、モンゴル国のカンタータ作品についてである。例を挙げるならば、L.ムルドルジの児童合唱のためのカンタータ《祖国》(1972)、D.ロブサンシャラブの《祖国よ永遠なれ》(1961)、《スフバートル将軍》(1963)、《不滅のレーニン》(1970)、《金のソヨンボの歌》(1974)、E.チョイドグの《祖国》、《党の讃歌》、Z.ハンガルの《永遠の河》(1985)、B.シャラフのカンタータ《おだやかなこの世の太陽》(1981)、《わが祖国》(1987)、《人間》(1991)、オラトリオ《チンギス・ハーンよ永遠なれ》(2005)と、祖国礼賛、体制礼賛の作品が多い。
 アンダーソンが『想像の共同体』で述べたように、歌の唱和(ユニゾナンス)は上からの国民化だけではない、その体験を共有するという意味で下からの共同体の想像が行われる現象である。またモンゴルには伝統的に宴の席の初めと終わりに歌を皆で唱和する文化があった。そのため社会主義モンゴルにおいて合唱は非常に重要な国民化のツールであった。同時に祝い事の席や、権力者に対し祝詞や讃歌を吟じる伝統も持っていた。とすれば、これらの大規模声楽作品はモニュメンタルな音楽作品として政治的にも文化的にも公認されうるものであった。
 中でもこういった作品に多く携わった作曲家にロブサンシャラブがいる。彼は国立劇場合唱団の団員としてプロの音楽家のキャリアを始め、モスクワ音楽院にてさらに合唱音楽の研鑽を積んだ。彼はモンゴル国におけるアカペラ合唱の第1人者でもあった。そしてその成果として人民革命40周年記念の《祖国よ永遠なれ》(1961)は書かれた。作曲者にとっては、勉強の成果を世に問う絶好の機会であったろう。当時この種の体制翼賛作品なら容易に演奏の予算が下りた。同時にスターリン批判とチョイバルサン批判、その後の「知識人の迷妄」事件も落ち着き、親ソ派ツェデンバルが政権を握ってはいたが、モンゴルの国家としての独自性を求める声も少なからず聞こえた時期の作品らしく、モンゴルの国家のモニュメンタルな作品たる要素が詰め込まれている。
 まず、オーケストラは1956年から政治局承認を得て予算化され進められてきた民族楽器改良の成果たる民族楽器大オーケストラが用いられた。これはB.リンチェンら知識人が発言していた歴史資料に見られるモンゴルの古い楽器の復興を、1956年にモスクワ音楽院から戻ったばかりの作曲家L.ムルドルジらが中心となって実現させたものであった。この編成はおそらくムルドルジが西洋のオーケストラやソ連のバラライカを中心とした民族オーケストラを参考に弦楽器や管楽器の音域、バランスを考え、元朝の宮廷楽団に関する資料を参照にした打楽器で民族的色彩がより強められたものだった。この民族楽器改良のアイデア自体は、1940年代のブリヤートの民族オーケストラやそれに触れたチョイバルサンからの提案にすでに原型を見出すことができる。
 次に合唱団の中にも民謡オルティン・ドーの歌手を配置し、声の面でも強く民族性が打ち出されている。このような考えは、この作品より前にロブサンシャラブが作曲家として出世作となったホブド県劇場でのアカペラ合唱作品《アルタイ讃詞》で合唱にホーミー歌手を加えて高い評価を得たことから、その路線を推し進めた結果である。
 そして作品は祖国の美しさ、尊さを歌い、最後は1921年革命時の革命歌《キャフタ砦》の大合唱でしめくくられる。党幹部を納得させられる作品構成となっている。
 このような作品の系譜は民主化後にも連なっている。B.シャラブは1980年代に交響曲第2番を合唱付きの大規模な作品として完成させて、ソ連の現代音楽祭でも演奏の期間を得ているが、2005年、2003年に作曲したオペラ《チンギス・ハーン》の素材を用いて30分ほどのオラトリオ《チンギスハーンよ永遠なれ》を発表した。
 これらの作品はチャイコフスキーの《モスクワ》などから、プロコフィエフの《アレクサンドル・ネフスキー》、そしてショスタコーヴィチの《森の歌》へと連なる伝統をモンゴルに持ち込んだものであると考えられる。過去の建国英雄を顕彰したり、国土の賛美に民族性を表出させるやり方を導入することで国民意識を高揚させるテーマ性はまさにそうであろう。
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モンゴル音楽に関する博士/修士論文(Thesises and dissertations on Mongolian music)

 モンゴルの音楽に関する英語圏(英米)の論文が2000年代に入って増えてきている。
その嚆矢は
Pegg, Carole.(2001)”Mongolian Music, Dance, & Oral Narrative”, University of Washington Press
で、1980年代後半の冷戦の緊張緩和、続く1990年代のモンゴル国の民主化が現地調査を可能にし、ペッグは1987年から内モンゴルで、1989年からモンゴル国で通訳付き(ちなみに、私はこの当時通訳をしたうちの一人に大学でモンゴル語を習ったことがある)とはいえ比較的長期間かつ広い範囲でのフィールドワークを行い、また現地出版の文献の収集に努めた。結果、最初の本格的なモンゴルの音楽民族誌を著すことができた。
 モンゴルではなく隣のトゥバ共和国に関するものだが
Levin, Theodore/Suzukei, Valentina. Where Rivers and Mountains Sing-Sound, Music, and Nomadism in Tuva and Beyond. Bloomington and Indianapolis:Indiana University Press, 2006.
があり、実は少しモンゴルにも触れられている。
 この2つは、この地域の音楽書として欧米で特によく知られている。ペッグの書はモンゴル国では参照されることはあまりないし、レヴィンの書がトゥバでどう評価されているのかはわからない。この2つは、遊牧民の音楽文化の伝統の再構築とその現代における復権に焦点が充てられている。大雑把に言ってしまうとペッグにおいては、宴の歌などにみられる人間同士の、あるいは人と自然との対話とアイデンティティの問題であり、レヴィンにおいては自然現象の物真似(サウンド・ミメーシスと定義づけされている)としての音文化である。自然との対話、という点で2つの論は共通しており、「遊牧生活の伝統」に関する本質主義的な語りが特徴である。
 この2つとは対照的なのが
Marsh, Peter K. The Horse-head Fiddle And The Cosmopolitan Reimagination Of Tradition in Mongolia (Current Research in Ethnomusicology). New York:Routledge, 2009.
である。こちらは馬頭琴を国民文化論の視点から扱っている。20世紀に馬頭琴がモンゴル地域の様々なヴァリアントを持つポピュラーな楽器から、国家の象徴としての位置を獲得するに至るまでのプロセスを描いた。しかし実はこの論文も、最後の章では地方に残る伝統的な文化を背景にした地方の劇場のレパートリー開拓を称賛して終わっている。
 以上3つは出版されているが、特にペッグの後に続くものとしてモンゴル音楽に関しては、修士論文、博士論文がいくつか書かれている。オルティン・ドーに焦点をあてたものが一番多く、例えば修士論文
Carrizo, Liliana.,URTIIN DUU: PERFORMING MUSICAL LANDSCAPES AND THE MONGOLIAN NATION, University of Illinois, 2010.
ではオルティン・ドーの果たす役割、特にアイデンティティの表象としてのこの種の歌謡がテーマである。
 オルティン・ドーが現代文化の中で歌われる「場」を問題にしたものもあり、同じく修士論文の
Giron, Gabrielle., Norovbanzad's Legacy: Contemporary Concert Long Song in Mongolia, Master thesis, The Florida State University, 2007
と博士論文の
Chao, David., Urtiin Duu: The Mongolian Long Song in Mongolia and China, Proquest, Umi Dissertation Publishing, 2010.
が該当する。モンゴル国を代表する歌手個人を主題にした前者に対して、後者ではモンゴル国と内モンゴルの都市と地方で、オルティン・ドーが現在どのような歌われる機会があるのか、詳細な描写がなされる。
博士論文の
Sunmin Yoon, CHASING THE SINGERS:THE TRANSITION OF LONG-SONG (URTYN DUU) IN POST-SOCIALIST MONGOLIA, University of Maryland, 2011.
は複数の歌手へのインタビューやオルティン・ドーのレパートリーの扱われ方などから、オルティン・ドーが社会主義崩壊後の国家のシンボルであるとともに前近代との連続性を示す文化遺産として機能していることを明らかにしており、馬頭琴におけるMarshと同じく、国民文化論の枠組みで語られている。
 修士論文の
Logan, Erica Marin, "Moving Melodies: Contemporary Music Culture of Mongolian Nomads and Opportunities for Contextualization", Ethnomusicology Masters Thesis,2008.
もポスト社会主義の音楽活動を扱っているものの、遊牧民的な音楽活動や音楽を行うこと自体が遊牧民のアイデンティティに関わる、などといった本質主義的な枠組みを出ておらず、さらにこの研究自体がキリスト教布教をモンゴル国で円滑に進める目的で行われていることに注意が必要である。
 伝統音楽以外を扱ったものではモンゴル国内でもほとんど研究されていない映画音楽を扱った
Rees, Lucy Miriam., Mongolian film music during the Socialist era (1921-1990) and its aftermath. PhD thesis, University of Leeds. 2011.
が目を引く。映画音楽や歌謡曲を研究することは、アカデミックな訓練を受けた高名な作曲家が大衆歌からオペラまで何でもこなしたモンゴル国においては、この国の音楽実践全体を明らかにするうえで特に重要である。
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Yapony Bagsh

Author:Yapony Bagsh
Welcome to the world of Mongolian music! I've studied Mongolian language and musical culture in Ulaanbaatar(the capital of Mongolia) for one year. I hope you enjoy various music of Mongolic peoples.

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