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I.Y.モロゾヴァ『アジアの社会主義革命:20世紀モンゴルの社会史』

Morozova,I.Y.,Socialist Revolutions in Asia: The social history of Mongolia in the twentieth century,New York: Routledge, 2009.[I.Y.モロゾヴァ『アジアの社会主義革命:20世紀モンゴルの社会史』]

目次
序章
1、モンゴルの社会主義史の歴史編纂:素描
2、1921-24:神権君主制政治とモンゴルの革命
3、1925-28:モンゴル人民共和国の誕生
4、1929-32:モンゴルの古い恐怖と新しい恐怖
5、1933-39:ロシアの共産主義と日本の軍国主義のはざまで
6、1940-45:モンゴルの人民(アルド)と第2次世界大戦
7、1946-52:社会主義的遊牧
8、結論
注釈
参考文献
索引

・モンゴルにおいて恐怖による支配はプロレタリアート独裁の発明ではなく、遊牧国家が行ってきた伝統的なものである。
・仏教勢力とその資産は非常に強力で、特に地方部において革命後も長期間にわたり影響力があった。人民政府は仏教勢力と貴族の影響力を弱めるため、何度にもわたる課税と財産没収でその力を削いだ。
・1920年代、まだまだモンゴルの商業は中国資本とロシア資本の力が大きく、商業組合「モンツェンコープ」の組合員もモンゴル人を増やすよう国策で調整された(ソ連で見られた現地化(コレニザーツィヤ)政策のモンゴル版)。
・1927年国共合作の失敗を契機に中モ国境が閉じられ貿易がストップした。そのためモンゴルのソ連に対する通商の依存が強まった。
・30年代までの人民政府の政治家はウランバートルにおいては有名だったが、地方部ではあまり知られていなかった。
・第2次大戦中、経済政策に失敗し家畜の増産が出来なかった。また地方行政長の経験不足や不正が横行し、地方行政組織そのものや集団往生が機能不全に陥った。その結果、生活困難や貧困が広まったが、国はそれを戦争による困難と印象付け、人々のその時期の記憶は戦時下の生活苦と戦争英雄のエピソードに彩られることになった。
・1940年代後半、引き続く経済政策の失敗によりウランバートルの治安は悪化。盗みが横行した。
・戦後は教育、福祉、文化政策に力が入れられ、暗い戦時下に対し、明るい戦後が印象付けられた。
・長らく一般牧民の精神世界は仏教を中心としており、戦後も地方の党役人が仏教行事を執り行うこともあった。
・モンゴルが近代化した一つの契機は、党組織が整備され(一番大きくなったのは軍隊において)、党員になりそこで出世していく成功物語が国民に共有されるようになったことであった。また、もちろん幾度もの弾圧が人々を社会主義政府に従わせた。
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『中国音楽文物大系Ⅱ 内蒙古巻』

段泽兴主编『中国音乐文物大系 II 内蒙古卷』、大象出版社、2007年。
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Yapony Bagsh

Author:Yapony Bagsh
Welcome to the world of Mongolian music! I've studied Mongolian language and musical culture in Ulaanbaatar(the capital of Mongolia) for one year. I hope you enjoy various music of Mongolic peoples.

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