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ストラヴィンスキーとモンゴル音楽

 ストラヴィンスキーがモンゴル人の影響を受けていると言った類の話ではなく(春の祭典は確かに中央アジア(シベリア?)先住民に対するロシア的オリエンタリズムのなせる産物だが)、ストラヴィンスキー作品のモンゴル国での受容や、モンゴル人の作品への影響の話。メモ程度なのはご容赦願いたい。
 
 モンゴル国で本格的にストラヴィンスキーが受容されたのは90年代に入ってから、国立歌劇場でバレエ《春の祭典》が上演されてからであろう。それ以前は、おそらく、社会主義時代モンゴル国においてストラヴィンスキー作品の多くが前衛的過ぎて受け入れられる余地がなかった、衛星国化していたせいでソ連国内で否定的価値判断のなされたものは入ってきにくかった、単にモンゴル国のプロ奏者、特にオーケストラが技術的に未熟で実演する素地がほとんどなかった、などが考えられる。作曲家随一の碩学だったゴンチグソムラーや70年代後半からの留学組などはよく知っていたと思われるが・・・・。
 
 その70年代後半に留学した作曲家の1人にB.シャラフがいる。彼はオルティン・ドーを大規模管弦楽曲の中に生のまま取り入れた《交響曲第1番》の初演を留学より帰国後モンゴルで行う。合唱曲の中にオルティン・ドー歌手を参加させる取り組みはD.ロブサンシャラフがカンタータ《堅固なれ、わが祖国》などで実験済みであった(ちなみにこの作品は民族楽器オーケストラと、ホーミーとオルティン・ドーと混声合唱による大編成で、祝典的な楽句と民謡的な旋律、独立戦争時の革命歌を上手く織り込み、モンゴルの国家としての記念碑的作品として成功を収めている)。しかし大規模管弦楽曲、しかも西洋的形式感の強い交響曲の中に取り込むというのは初めての試みであった。この後、シャラフはオルティン・ドーのその長く引き伸ばされた浮遊的なリズム感や装飾音やグリッサンド・ポルタメントの多用されるメリスマを積極的にシリアスなコンサート用作品、オペラ、バレエ音楽に取り入れていく。前置きが長くなったが、その書法を確立させていく中で、「民族的なもの」をオーケストラ音楽に親和させる触媒として参照したのがストラヴィンスキーであった。例えばモンゴル国で発売されたCDに収録されている管弦楽のための幻想曲《広大なる世界》(興味深いことにこの曲の演奏者は東フィルのようである)の中間部分、チベット仏教楽器のギャリン(チャルメラのような楽器)の引き伸ばされた旋律を思わせるところはストラヴィンスキーのバレエ《結婚》の冒頭部を思わせるような造形がなされている。反対に律動的なアレグロの部分を書くときでも、例えばオペラ《チンギス・ハーン》のバレエ部分などは《火の鳥》や、部分的に《春の祭典》を思わせる。さらにバレエ《狭間の世界》ではもっと明確な形で《春の祭典》を下敷きにしたと思われる箇所が多数ある。
 このようなストラヴィンスキーの参照は、シャラフほど積極的ではないにしても、この世代以降のほかのモンゴル国の作曲家にも見られる。「民族的語法」を音楽作品に取り込む際にストラヴィンスキー作品が重要視されるという傾向は戦後日本にも見られ、興味深い。
 それ以前の世代は強烈にソ連の音楽界の、上から求められた保守性の、それが更に極端に守られる形となった。なぜなら、モンゴル国の「公式芸術」はソ連と言う「窓」を通して西洋芸術を吸収したから。さらに上の世代の作曲家であり指揮者としても名を馳せたTs.ナムスライジャブはモンゴルのオーケストラの名刺的作品《祝典序曲》を《ルスラン・とリュドミュラ》序曲からヒントを得て書いたし、J.チョローンは国民的バレエ《オラン・ハス(職人のハス)》を作るときチャイコフスキーやグラズノフなどロシア国民楽派によった。非常にロマン派的なやり方が20世紀後半も守られることになった。ただ、やはりバレエの《チョイジド夫人の物語》で知られるE.チョイドグにとってのアイドルは少し進んでハチャトゥリアンであった。
 ようやく1980年代後半になって、ストラヴィンスキーやバルトークなど、「周縁からやってきた新音楽」がモンゴル国でもぼちぼち取り入れられるようになった。上記のように、ストラヴィンスキーが一般に演奏されるのはもう少し遅れたのだった。
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音楽の話をしよう

 自分の役割(目標)は、日本で、あるいは世界で、モンゴル音楽について「音楽の話」がもっとできるように、そのために貢献することだと思っています。
 これはモンゴルの音楽について、ガチガチの音楽美学的議論をしようというのではありません。もちろんそういった議論をきちんとできるようにすることも含めてですが、もっと広義の話です。モンゴル音楽に関する多くの言説が、「草原の国の」音楽、「発展途上の国の」音楽、と言う以上の物ではない場合がまだまだ非常に多い。そこで思考停止してしまっている。例えばモンゴル国の現代作曲家の作品が、「遊牧民族の末裔の作った、珍しい音楽作品」という受け止め方しかされない。
 そもそもモンゴル人の伝統音楽に関する研究なら、そのモンゴルや中央アジアの文化の「回廊性」等の観点や世界音楽研究の視点からまだやる価値があるとしても(筆者はこちらにも大いに興味があります)、はっきりいって小国で文化的影響力も少ないモンゴル国の近現代の作品など研究する価値はないという見方もあるでしょう。
 しかし、伝統音楽にしろ、現代音楽にしろ、ポピュラー音楽にしろ、とにかく紋切り型の説明ではなく、もっと音楽の中身がわかる、あるいはその音楽が歌われ、演奏され、聴かれる場の雰囲気や歴史が語られなければ、いつまでたっても思考停止、他者の文化への理解からは程遠い状態です。またステレオタイプな「モンゴル的」というパッケージングをしてしまうことで、モンゴル内部での多様な文化のあり方を見逃してしまい、また現代の個々人の創造的音楽活動の阻害ともなる可能性があります。
 と言うわけで、「世界音楽研究」「音楽学」「音楽評論」として成り立つような形でモンゴル音楽がモンゴル人以外の間で語り合うことができるようにし、他者理解の一助としたい、と言うのが筆者の希望なのです。
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Yapony Bagsh

Author:Yapony Bagsh
Welcome to the world of Mongolian music! I've studied Mongolian language and musical culture in Ulaanbaatar(the capital of Mongolia) for one year. I hope you enjoy various music of Mongolic peoples.

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