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モンゴル国のツァムの楽器の話

モンゴル国ではチベット仏教の仮面舞踊儀礼ツァムが「復活」を遂げている。
ツァムとはチベット、内モンゴル方言ではチャム、その他のキリル文字を受容したモンゴル人地域ではツァム(モンゴル国マジョリティのハルハ方言の発音がツァムなのだが)、ブータンではツェチェ、ネパールではマニランドゥ、漢語では打鬼など様々に呼ばれる密教修会およびそこで踊られる踊りのことである。種類や形式、執り行う日は宗派や寺院、またその修会によって祀る対象(多羅菩薩、金剛怖畏、白翁など)により異なる。

モンゴル国では現在のウランバートルにあった名刹ズーン・フレー寺(民主化後再建されてからはダシチョイリン寺と呼ばれることが多い)で1937年に行われて以来、1999年ガンダン寺で形式のみ復元され(元来学問寺であったガンダン寺ではツァムは行われてこなかった)、2003年からダシチョイリン寺で修会として復活するまで途絶えていた。

さてダシチョイリン寺での復活に際し、次第については、儀軌書と、1937年以前にツァムに参加した僧セレーテルの指導、そして甘粛や青海のチベット仏教寺院に留学した若い僧たちの成果により構成された。
一方道具、特に楽器については、チベットに新たに注文したものもあるが、その多くは社会主義時代、人々が密かに隠し持っていたものを寄進してもらったのだという。社会主義時代、仏教が禁じられても家庭内祭祀として細々と存続したことについて滝澤克彦氏が研究しているが、こういった仏具、しかも家庭内祭祀にはおよそ利用できない楽器のようなものまで持っていたとは驚きである。1937年に始まった粛清で700以上の寺院が破壊され、仏教僧が14000人も処刑されたのにもかかわらず、モンゴル人仏教徒の熱心さを思い知らされる。
ちなみに、モンゴル国ではツァムの舞踊の部分だけを「民族文化」として1980年代より舞台芸能化している。これは仮面や楽器が博物館入りし、保存された結果でもある。この時期は社会主義的発展論の中で原始的なものであるがゆえに新しい民族文化の源泉とされていた伝統文化が、モンゴル国らしい国民文化もしくは「民俗文化」として、その生活習慣や信仰などから切り離された形で表舞台に出される時期であった。
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モンゴル国の称号と賞の話

モンゴルの音楽家の名前の前によく書いてある称号を整理してみましょう。
モンゴルではソ連と同じで、賞や勲章の他に、「人民芸術家」などの称号を有名人に授与しています。これは老後の年金とも関係あったりするようです。とにかくモンゴルの有名人の肩書きには頻出なので意外と重要なのです。

まず称号ではなく賞として権威あって音楽関係でよく出てくるものに「国家賞」があります。
これにははっきり名前の変遷があって
1945~1961年:Чойбалсангийн Нэрэмжит Шагнал
1962~1991年:Төрийн Шагнал
1992~1993年:Төрийн Соёрхол
1994年~:Төрийн Шагнал
 大抵略称はТШです。定訳は国家賞ですが、受賞した時代の歴史的なものを考慮した場合、チョイバルサン賞なども使われるでしょう。これはソ連のレーニン賞およびスターリン賞のコピーです。
 これは賞なので複数回受けることもできます(例:文学者Ts.ダムディンスレンの3回、作曲家のL.ムルドルジの2回等)。

 次に芸術家であることとは関係ない称号として「労働英雄」があります。これは国の発展に尽くした労働者の行った労働を称えるものなので、基本的にどんな業種でも、例えば牧民でも受けることができます。逆に芸術家には名前からして不向き称号に思えますが、ノロブバンザドや作曲家のD.ロブサンシャラフ、歌手のTs.プレブドルジほか数名の音楽関係者が受けています。

ここから音楽に関係する称号です。
 まず一番権威がある「人民芸術家」です。モンゴル語では"Ардын Жүжигчин"です。1941年に設定されました。この"Жүжигчин"という単語のせいでよく「人民俳優」と訳されますが、この訳にはちょっと疑問です。劇作家のE.オヨンや作曲家のジャンツァンノロブも受けているからです。受賞者の名簿を改めてみると、広く舞台芸術に功労のあった人に称号を授けていることがわかります。また、これはソ連における栄誉称号、ソ連人民芸術家(ロシア語:Народный артист СССР、女性型はНародная артистка СССР)のコピーです。そこで私はソ連の定訳に合わせて、「人民芸術家」と訳してます。略称はАЖです。
 ちなみにこれと同等の人民ナントカは人民画家、人民作家、人民医師、人民教師(人民教育者)があります。それらもソ連の同名の称号のモンゴル版です。
 
 次に権威があるのが、「芸術功労者」と「国家功労芸術家」です。たくさん種類のある"Улсын Гавъяат Зүтгэлтэн"国家功労者のうちの2つと理解してよいと思います。モンゴル語で書くと前者が"(Улсын) Урлагийн Гавъяат Зүтгэлтэн(略称УГЗ)"、後者が"Улсын Гавъяат Жүжигчин(略称УГЖ)"です。これらはソ連における功労芸術家(ロシア語: Заслуженный артист)のコピーです。
 これらは権威は同等ですが、受ける人の職種が違います。芸術功労者は元々「芸能功労者」という名で、1940年代から「国家優秀作家」、1960年代に現在の名になりました。音楽関係者では物書きやクリエイターの作曲家、研究者、舞踊振付師と教師などが受けます。他にも画家が受けたりします。
 一方、1941年に設定された国家功労芸術家は"Жүжигчин"の名がつくことから分かる通り、舞台芸能者のための称号です。よって音楽関係ではパフォーマーである歌手や演奏家が受けることになります。
 
 この種の称号で上の2つの下にある、おそらく音楽関係者が最初に受けるであろう称号として「文化前衛活動家」があります。モンゴル語は"Соёлын Тэргүүний Ажилтан(略称СТА)"です。この称号の設定時期や受賞適用範囲は今回調べられなかったのですが、かなり受賞対象は広く、「文化」にかかわる人なら例えば教師なども入ると思われます。

最後の欄外として、無くなった称号「国家功労名誉音楽家/歌手/俳優」があります。モンゴル語では例えば音楽家なら、"Улсын Гавъяат Алдарт Хөгжимчин "これは1935年に設定されましたが、1941年に"Улсын Гавъяат Жүжигчин"に統合されました。

情熱的な叙事詩に登場する楽器

ちょっと人に聞かれたので西モンゴルの英雄叙事詩『ジャンガル』に出てくる楽器について

『ジャンガル』はオイラートという現在のモンゴル国西部、中国の新疆、ロシア連邦のカルムイク共和国に居住するモンゴル系のエスニック・グループに主に伝承されてきた叙事詩です。成立は15~17世紀初頭。

若松寛訳のカルムイクで採録された『ジャンガル』を見ると

「彼(ブールル・ガルザン(駿馬の名))は艶やかな黄斑の切付のへりを足で音を立てて七千回押し、音を立てずに八千回押しながら走った。並の馬が一回転する間に、優秀なブールルは七、八回転して、一頭もはぐれさせずに行った。去勢馬どもは自らの蹴立てる土塊に驚いて走り、土埃を厭うて駆けた。馬どもが通り過ぎた地面が踏み固められた幅広い道となり、尾からは琵琶・琴の音が発し・・・・」(p.188)

「ブンバ海の岸には四つの湾があり、その切り立った岸に四つの黄教寺院がある。(中略)法螺貝、喇叭の音が下界のザンバ地方にまで響き、忿怒神に捧げる経典の読誦の声が帝釈天の三十三天にまで聞こえる。」(p.240)

「皆の腹が温もり、喉が潤った。ドゥーニ・ゲレルが一曲歌い始め、ドゥンスル・ゲレルがそれに和し、タルバン・ツェツェンがドンブラを弾き、タンサク・ゲレルが立って舞った。天下の美男子ミンヤンに横笛を吹けとの声が起こった。その吹く横笛の調べは、春に黄色い芦の茂みに巣くった白鳥が朝焼けの黄色い光の中で、巣から立ち上がって鳴くがごとく、三代後にまで響き渡るのである。今、黄檀の横笛をむっちりした赤い唇に当てて吹くその調べが、六千のアルタイの山々に染み渡る。」(pp.259-260)

後者のエピソードはヴァリエーションがあって、モンゴル国の出版物には「91本の弦を持つ大きな銀の琴をつま弾けば、葦の中に卵を産んだ白鳥の如き音が鳴り・・・」というのもありました。
ホールではなくドンブラが出てくるあたり、カルムイクで伝承された物語らしいですね。ドンブラはカルムイク周辺の民族の影響によるものですから。

82の柱と800本の弦をもつ箏を弾く妃の話も出てくるのだとか。こんな楽器は存在しえないのですが、これは叙事詩に頻出する「大げさな数でその偉大さを表現する」伝統的手法ですね。800の弦を持つがごとく多彩な曲と音色を弾き分けたたということなのでしょう。

楽器の音色が人々に持たせるイメージが垣間見えて面白いですね。

情熱的な笛吹きの証言

モンゴル国の高名な音楽家の一人にL.ツェレンドルジという人がいました。1908年生まれ、1990年没のこの人はリムベ(横笛)と、シャンズ(三弦、ショドラガとも)の名手でした。父親はザサグト・ハン部の領民でかなりの長距離を移動しながら生活していましたが、ツェレンドルジが幼いころ家族でフレーに移り住んで来ました。そしてツェレンドルジは小学校に通うことになり、その通学途中に当時設立ほやほやの芸能グループの演奏に出会い、音楽の道に目覚めたのでした。
その彼が『旋律の虹』という自伝を書いています。まだ全部を読んではいませんが、自分の研究に関係のあることも書いてありました。
初期の芸能グループ、このグループが後のモンゴル国立劇場につながるのですが、このグループで使われた楽器は、グループの音楽の指導者だったイシドラムが個人的にもっていたものを持ち込んだもの、そして活仏の宮殿にあったものを持ってきたもの、さらに後に足りなくなって漢人商店から購入したものが使われていたそうです。

次は民俗学者バドラーがツェレンドルジと同じ世代の民謡歌手ドルジダグワに行った長大なインタビューを本にした『大歌手の話』を読んでいきます。もしかしたらモンゴル民謡の流派について書かれているかも。

情熱的なモンゴル民謡の地方色の話

モンゴル国で聞いた話では、オルティン・ドーは全国区での大会もあるけれども、各県ごとにもコンテストが催されているそうです。そこでは、歌の巧拙のほかに、歌の地方色やその地方の方言の表現が明確になされているかどうかも審査対象に上るということでした。またモンゴル人の意識として、各地方、各部族の歌の特徴は、モンゴル人なら感覚的に分かる、という意識が今もって働いているということが書物などからは見て取れます。

 まず、確認しておくべきことは、オルティン・ドーは音楽的に、歌詞の言葉の影響を非常に強く受ける構造を持っているということです。エネビシ他著『音楽芸術研究(モンゴル国の科学シリーズ22巻)』(2009)によれば、オルティン・ドーのメロディーは細分化すると基本単位の「音節」と呼ばれるもので成り立っていて、これがメロディーの伸縮の基礎になります。歌詞の母音で終わる「開音節」、歌詞のアクセントのある子音で終わる「閉鎖音節」などによって特徴づけられています。これがどういう風に現れるかは、一般的にモンゴル語が子音の後に母音を必要とする言語的特徴に由来すると考えられています。
 なお歌は調子を整える「指向語(ハンダハ・ウグ)」(ゼー、ゼー・フー・ゼーなど意味のない語)によって曲がはじめられ、また閉じられます。
 
以上から、メロディーの作り方そのものが、言葉のアクセントや子音と母音の関係に依存していることがわかります。各方言によってオルティン・ドーは異なる特徴が表れるということがよく言われますが、方言は地方によって語彙、抑揚も含めて異なり、これが歌の差異にも影響しているのでしょう。

 次に音楽として地方に差があるのかという話です。C.ペッグ著『モンゴルの音楽、踊りと口承伝承』(2001)によると、中央ハルハの歌は幅の広さやそこに挿入される3オクターヴに及ぶショランハイというファルセットのような技巧、喉の駆使、修辞的にこっていて感情に訴える胸からの発生によって特徴づけられるとか(なんとこの項については三枝さんのお師匠デルゲル先生へのインタビューをもとに書かれています!)。また音の跳躍の幅が広く、テトラコードが共通音を伴って連続する音階による滑らかな音の動きはほとんどないと言います。
 ボルジギン・ハルハの歌(ダディスレンやノロヴバンザドが代表か)はモンゴル人には「繊細な」「正確な」「精密な」「洗練された」などと形容されます。声質の幅広さやファルセットの出現は中央ハルハに似ますが、跳躍が少なく、装飾音(チメグレル)が更に複雑になっていると言います。ノロヴバンザドのよく使ったホーロイ・ブンジグヌフという長2度に及ぶヴィブラートはボルジギン・ハルハに特徴的なものです。
 オイラート系諸部族と境を接する西ハルハの歌はアイザム・オルティン・ドーが多いのですが、中央ハルハに比べてメロディの動きの幅が限定されていて狭いのだそうです。
 その他のエスニックグループはハルハとはまた違う独自のレパートリーを持っています。
 オヴス県のドゥルベト族には部族の歌の書物『ドゥルベトの歌の青の書』があり、その歌は、隣接するバヤト族とは自らを区別して、それよりも旋律的装飾(ノガラー)を駆使してより美しく飾った歌である、とされます。更にハニーハン・ドゥルベト(旧ジャンジン・グン旗の領民)、オンギーンハン・ドゥルベト(旧バンディ・グン旗)に分けることができ、その2つの中でも音楽や歌詞が異なることもあるそうです(同じ曲が違う名前と歌詞で知られていたりなど)。
 東ハルハのハルデルやバヤン・バラートには社会主義以前の古い歌い方が残っていると言われています。ここの特徴は仏教の宗教音楽の影響が表れているということです。またリズムが強調され、人に訴えかけるような調子だそうです。
 西モンゴル全体の特徴としては、ファルセットなどの装飾的な歌い方がなく、喉元や声門を駆使する歌い方がないところもあるそうです。


『音楽芸術研究(モンゴル国の科学第22巻)』より
ザハチンの歌

ザハチンの歌は他のオイラート系諸部族のものと、方言が似ているために近い。特にオルティンドー(オイラートではアルヒニードーと呼ぶ)はそう。ボギンドー(アハルドーと呼ぶ)は若干の違いがある。

オリアンハイの歌
オイラートではオルティンドーのことをオトゥドーまたはアルヒニードーといい、ナーダムなど祭り、婚礼など宴の正式な席で歌うこの種の歌は部族毎に360あると言われています。このような宴の歌は替え歌を固く禁じられています。またよくある言い回しに「飲むより座れ、座るより歌え」というのがありオリアンハイ他のオイラートの歌に対する態度が表れています。
オリアンハイのオルティンドーは基本的にはオイラート全体のオルティンドーと同じで、基本的な旋律は歌詞の最初の一行もしくは二行に表れています。旋律の動きでは、跳躍や鋭い上向きのグリッサンドが重要な位置を占めます。旋律において名人芸的な装飾を施すのにはそれほど意を注がず、それよりも声の音色の使い分けを大切にします。このような特徴はオリアンハイのボギン・ド―にも表れます。

情熱的なモンゴル民話

ある民族楽器に伝わる哀しい民話
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2028508&media_id=112

『スーホの白い馬』についてモンゴル好き人間は色々言いたいことがあります。

例えば、主人公の「スーホ」はモンゴル語のスフ(「斧」の意)を漢字音写したのをカタカナに直したんだYO!とか。

あれは現在の中国の内モンゴルのチャハル・モンゴル人地域(シリンゴル盟)に伝わる話なんだYO!(モンゴル国の話ではないYO!)とか。

モンゴル国(ハルハ・モンゴル人が多数派)では馬頭琴起源説話として『フフー・(郭公の)ナムジル』のお話が有名だYO!とか。

まあ、モンゴル人たちの間に伝わる弦楽器の起源説話はばくしの知るだけでも12種ほどあって、モンゴル人の内部の多様ぶり、居住地の広範ぶりを示しています。

さて、ここであえてこの本は大塚勇三氏の良質な創作だと言いたい。

もちろん漢語経由の採話であるという事実もあるし、再話文学である以上日本語で読まれるこの物語のあちこちに大塚氏の遊牧民に対するオリエンタリズムも反映されているであろう。

そのような批判は簡単である。しかしまずは民話がもともとどのように語られてきたか考えてみれば、また違った見方ができる。

モンゴルの民話は楽器の伴奏がついたり節回し付きで語られることも多い。ということは当然のことながら昔話というのは口伝えで伝えられたのであり、そのテクストは常に流動的であった。

コミュニケーション論と関連付けて研究されたりもするが、「お話」は語る相手、その場の雰囲気などによって、その場その場で話し手によって、あるいはその場にいる人たちによって「創作」される。そうしてその場の人間を惹きつけられるのが、よき語り手なのである。

だとすれば、語りと文字との非常に大きな違いはあるが、現代日本でこれだけ親しまれる物語になるよう「語った」大塚氏はこの意味で優れた語り手であるといえよう。

もちろん本質的に物語の大まかな筋が、この愛馬に対する主人公の思いが民族を超えて共感を呼ぶのだ、という意見もあろう。

しかし日本語にほぼそのまま翻訳されたモンゴル民話を読んだことのある人、もしくはモンゴル民話を翻訳したことのある人ならわかるだろうが、モンゴル民話は日本人にとってそんなに面白いものではない、コンテクスト依存の物語が大半だ。

むしろ民話や物語、歌などを考える場合、その場に合わせた魅力ある「語り」の創意こそが本質なのではないかとばくしは考えています。

そういえば最近福島弘和という吹奏楽専門の作曲家が《スーホと白い馬》という曲を書いた。内容はまあ吹奏楽専門作曲家にありがちなアレな感じですが、ことほどさように日本でのこの物語の需要のすそ野は広がっているということで、いろいろ興味を持ってくれる人が増えるのはモンゴル好きとしてうれしい限りです。
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Yapony Bagsh

Author:Yapony Bagsh
Welcome to the world of Mongolian music! I've studied Mongolian language and musical culture in Ulaanbaatar(the capital of Mongolia) for one year. I hope you enjoy various music of Mongolic peoples.

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